【CASE004】豆腐3丁の女経営者アヤ

月収300万円を稼いだ女が、質素に生きた理由
85歳になった。
膝がうまく言うことを聞かなくなって久しいのですが、それでも朝の光を浴びていると、何かを書かずにはいられない気持ちになるのです。窓の外では、空中を走る小さな無人配送機がすいっと横切っていきました。53年前にはなかった風景です。あの頃の私は、まさかこんな景色の中で85歳を迎えるとは思っていなかった。
今日は、32歳のあなた——つまり過去の私に、少し正直な話をしようと思うのです。
恥ずかしいことを先に言いますと
水商売でトップに立っていた頃の私は、相当おかしな人間だったと思います。不自由なく育ち、看護師の免許まで持っていたのに、気がつけば夜の街にいた。そこまでは、まあ、よくある話かもしれません。おかしいのはその先です。月収が300万円を超えた月、私は何をしたか。スーパーで98円の豆腐を3丁買い、ガスの使いすぎを心配して湯船を浅めに張ったのです。
周りのスタッフには呆れられました。「先輩、いくら稼いでるんですか」と苦笑いされながら、私はそれでも首を縦に振りませんでした。見栄で散財したいという気持ちがなかったわけではない。ただ、そんな欲より強い何かが、ずっとそこにあったのです。
後になって気がつきましたが、あの5年間の節制が、そのままサロン開業の資金になりました。稼ぐ力なら、あの数字が証明していました。けれども自分では、そちらをまるで力だと思っていなかった。逃がさない力の方だけを、ずっと当たり前だと思って生きてきたのです。両方持っていたのだと気づいたのは、ずいぶん後になってからでした。35歳で400万円の車を買ったときですら、慎重に慎重を重ねた末の決断でした。それも移動の道具として必要だったからであって、誰かに見せびらかすためではなかった。
あなたへ
突然こんな手紙を書くのも、少し恥ずかしいのですが、どうしても書かずにいられなくて。
あなたと初めて話したのは、あの旅先のロビーでしたね。私がガイドブックを広げて地図とにらめっこしていたら、「そこ、去年行きましたよ」と声をかけてくれた。それだけのことだったのに、気づいたら夕食も一緒になって、ずいぶん長く話し込んでしまいました。あなたは笑いながら「旅の話なら止まらないんです」と言っていたけれど、それはこちらも同じでした。
あれから、もう何年になるでしょう。季節の変わり目に連絡をくれるたび、あなたが元気でいることが純粋に嬉しくて。
今日、あなたのことを書きたくなったのは、ある昼下がりのことが頭を離れないからです。窓から光が差し込む静かな午後、一緒に出かけた先の小さな喫茶店で、コーヒーの香りに包まれながら、あなたが「ちゃんと惜しみながら生きてきた気がする」とぽつりと言ったこと。その言葉の温度を、私はまだ覚えています。
あなたが42歳の秋に手に入れた住まいのことを話してくれたとき、私は思わず「ほんとうに迷わなかったの」と聞いてしまいました。あなたは笑って「まあそれなりに」とだけ答えた。私はそれ以上、何も言えなくて。あなたは淡々と話していたけれど、その目が少し違って見えた。長い道のりを、自分の足でここまで歩いてきた人の目でした。
85歳になった今も、窓の外を小さな無人機がすうっと横切る景色の中で、あなたが旅の計画を立てているのを想像すると、なんだか愉快な気持ちになります。膝と相談しながら、それでもどこかへ向かおうとしているのでしょう。それがあなたらしい。
糖尿病と長い付き合いになっても、お酒は少しだけという約束を自分と守り続けているとのこと。真面目なんだか意地っ張りなんだか、あなたらしいなと思って少し笑ってしまいました。
金融資産は使い切ったと聞きました。でも不動産がある。そして何より、あの98円の豆腐を迷わずカゴに入れた日々が、今のあなたを作ったのだと、私はちゃんと知っています。
あなたが生きてきた道筋が、とても美しいと思っています。
加藤より
42歳の秋に買ったマンションのこと
サロンを軌道に乗せてしばらく経った42歳の秋、私は初めて自分の「住まい」に本気でお金を使いました。3,500万円のマンションです。
正直に言うと、契約書にサインするとき、手が少し震えました。看護師免許を持ちながらも、水商売に足を踏み入れて、美容サロンを立ち上げて——そんな寄り道だらけの人生を生きてきた私が、3,500万円の物件を現金で買えるとは、20代の自分には想像もできなかった。
あの日の夕暮れ、空き部屋の窓から街を見下ろしながら、私はひとりで少し泣きました。みっともない話です。でも本当のことだから書いておきます。誰かに認めてもらいたかったのではなく、ただ、過去の自分が報われた気がしたのでしょう。
サロンという「夢の続き」が教えてくれたこと
開業してから何年も経つうちに、私は「夢に向かっている」という感覚よりも、「夢の中にいる」という感覚の方が長くなっていきました。
スタッフ5名を束ねながら、顧客一人ひとりの顔を覚えて、施術の細部にこだわり続ける日々。完璧主義で内向的な性格は、経営者としては何度も足を引っ張りましたが、それでもお客様から「あなたのサロンじゃないとダメ」と言ってもらえるたびに、全部が報われる気がしたものです。
65歳を過ぎてからは、年金と運用の果実だけで暮らすようになりました。サロンを誰かに継いでもらって、私は少しずつ「夢を渡す人」になっていったのです。あの頃は淋しいとも思いましたが、渡された誰かがその先を走ってくれる様子を見ていると、これもまた「夢の続き」だと思えるようになりました。
ある日、常連だった年配のお客様が私に言ったのです。「あなた、お金の使い方に音がしないわね」と。最初、意味がわかりませんでした。でも後から気づいた。あの方は、私が何かを買うたびに一拍おいていたことを、最初から見ていたのです。
あの喫茶店で、コーヒーをいちど口に含んだまま何も言えなかったことを、今も時々思い出すのです。
あなたが「ほんとうに迷わなかったの」と聞いたとき、私は笑って「まあそれなりに」と答えました。あの答えは、嘘ではなかったのですが、半分しか本当でもなかったのです。
42歳の秋、契約書にサインする前の夜、私は三時間ほど布団の中でまったく眠れませんでした。怖かったのです。お金が怖かったのではなく、それだけのものを受け取るだけの自分に、本当になれているのかどうかが、わからなかったのです。看護師を辞めて水商売へ行って、サロンを開いて——そういう生き方をまるごと肯定するような場所に、足を踏み入れることが。
翌朝、ペンを握ったとき手が少し震えていたのに、誰にも言いませんでした。言えるわけがなかった。でも本当のことを言えば、あの夜の私には、誰かにそっと「やめておけば」と言ってほしかったのかもしれない。
それを言いそびれたまま、もう四十年以上が経ちました。
67歳の引越しと、小さな価値観の変化
67歳のとき、長年住んだマンションを売り、4,500万円の新しい住まいに移りました。以前の家を2,112万円で売却して、差額を埋める形での買い替えです。数字だけ見れば大きな決断ですが、あの引越しで私に起きた変化は、お金とはまったく関係のないところにありました。
荷物を整理していたら、看護師の実習記録が出てきたのです。20代の自分の文字で「患者の痛みに寄り添うこと」と書いてあった。水商売もサロン経営も、突き詰めれば同じことをやっていたのかもしれない——と、段ボール箱を前に突然気づいてしまった。それから少し、自分の来し方がやさしく見えるようになりました。ものの見え方が変わるのに、段ボール一箱あれば十分だったのです。
85歳の今
今も旅行の計画を立てるのが好きです。足腰の具合と相談しながら、行ける範囲で行ける場所へ。糖尿病との付き合いもすっかり長くなりました。お酒は少しだけ、という約束を自分と何十年も続けています。
金融資産は使い切りました。不動産の価値は残っています。でもそれより、あの98円の豆腐3丁を迷わずカゴに入れていた32歳の自分が、結局この景色まで連れてきてくれたのだと、今は素直にそう思えるのです。
3,500万円は、私には高くなかった。あの水商売の5年間と、98円の豆腐が、そのお金を作ったのだから。
あなたが今、質素だと思って続けていることが、何を作っているのか。
三十二歳のとき、私は何も変えませんでした。
変えようと思えば、たぶん思えたのです。けれども、友人と飲みに行くことをやめられなかったし、欲しいものがあれば買いましたし、その月その月が楽しければそれでいいと、なんとなく生きていたのです。なんとなく、という言葉はみっともないのですが、正直に言うとそういうことでした。
五十九歳のときに、手元を確かめたことがありました。一億八千万円ほどになっていたのです。ああ、増えているではないかと思いました。別に倹約したわけでもないのに。若いころ、何かの縁で少し運用めいたことをして、それがたまたま悪くなかった、それだけのことです。私の賢さではありませんでした。
それから二十六年、大して何も起こりませんでした。というのが、一番正直な言い方なのです。
口のなかに白い小袋を挟んで煙草を吸う、というものが若い人たちのあいだに広がったのは、もうずいぶん前のことです。私の時代にはそういうものが出始めていて、しばらくして口腔のがんが増えたと騒がれるようになりました。私は煙草を吸わなかったので関係なかったのですが、関係のないことをわざわざ言うほどの人生でもないですね。
八十五になって、話せることがそれほどない、と気づいています。苦労したとも言えず、大成したとも言えず、誰かをひどく傷つけたわけでも、誰かに深く愛されたわけでも、たぶんない。娯楽と交際に少しお金を使って、友人と笑って、それで時間が経ちました。それを悲しいとは思っていないのです。ただ、事実としてそういう人生でした。
一億八千万円が今も大体そのままあります。使いきれなかったのか、使わなかったのか、私にも正確にはわかりません。みっともない話ですが、お金の話だけが少し具体的で、あとは霞のようなのです。それが私の八十五年だったと、今は静かにそう思っています。
🗳 20代の5年間、月収300万円を稼ぎながら98円の豆腐を選び続けた。あの選択の向こう側に、何を見たい?
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この人生は架空のものです。ただし、資産の推移と「金融資産がゼロになる年」は、 実際の計算式で出した数字です。
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