Presented by ザンヨメ💀残高余命

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【CASE001】元コメディカル パリピのエッジ

執着を手放すたび、自由になる。100歳からの贈り物。
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堕ちながら、それでも生きていた——100歳の私から、68歳のあなたへ

100歳というのは、正直なところ、想像していなかった。

こんなに長く生きるとは思っていなかったし、もし誰かに「あなたは百まで生きますよ」と言われていたら、半信半疑で笑い飛ばしていたに違いない。糖尿気味の体でそれなりに酒も飲んで、四国の風に吹かれながらだらだらと過ごしてきた男が、百年とは。滑稽でもあるし、まあ悪くもない。

今のあなたは68歳だ。キッチンカーを売ったばかりで、次の手を考えている頃だろう。

あの売却の決断——あれは良かった。100万円という金額の大小ではない。あのタイミングで「もうこれは手放す」と決めた、その身の軽さが良かったのだ。人間というのは、執着することで老いる。荷物を降ろすたびに、少しずつ自由になる。あなたはそれを、言葉ではなく体で知っていた。

拝啓

おじいちゃんへ

この間、ふと思い出したことがある。小学生のころ、おじいちゃんの店に遊びに行くと、いつもカウンターの隅っこで音楽が鳴っていたこと。何かのジャズだったか、それとも古いポップスだったか、ジャンルはうろ覚えだけれど、あの空気感はなぜかはっきり覚えている。おじいちゃんが鼻歌を混じえながら常連さんと笑っていて、私はそれを眺めながら、なんだかとても豊かな場所だと思っていた。店の壁の色も、光の入り方も、今でもじんわり思い出せる。

あの店を始める前、おじいちゃんがキッチンカーを手放したときの話を、後から母に聞いた。あっさり決めたね、と言ったら、「荷物は早めに降ろすに限る」とだけ言ったらしい。その翌年に600万円かけて新しい場所を構えたことも。七十手前でそれをやれる人が、そんなにいるだろうか。すごいとか立派とか、そういう言葉じゃうまく言えないけれど、あのころのおじいちゃんの顔つきは、どこかしら覚悟が決まっていて、格好よかった。

32年後の今、私たちが暮らす町には、壁に話しかけると何でも答えてくれる家が増えた。お医者さんの代わりに体の状態を教えてくれる小さな器械を、みんな手首に巻いている。便利といえば便利で、少し寂しいといえば寂しい。でも、あの店で誰かと笑ったときの感じは、どんな技術でも作れないものだと、私は今でもそう思っている。

東京で働いていた若いころの話も、おじいちゃんは酔うとよく話してくれた。出版社のバイト時代に覚えた「人の話をとことん聞く癖」が、店のカウンターでも生きていたんじゃないかな、と今になって気づいた。常連さんがみんなおじいちゃんの前では長話をしていたのは、そのせいだったのかもしれない。

100歳という数字を、おじいちゃんは「滑稽でもある」と笑いそうだけれど、私にとってはちゃんと誇らしい。

これからも、四国の風の中でどうかゆっくり。

孫より

敬具
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翌年、69歳で600万円を投じて新しい店を構えたとき、周囲はどう思ったか。正気かと思ったかもしれない。七十手前の男が六百万。だが私は今、あれが正しかったとはっきり言える。あそこで縮こまっていたら、その後の数年はもっと灰色だった。新しい場所には新しい人が来る。新しい会話がある。それだけで、生きる燃料になるのだ。

あなたが若い頃、東京の出版社でバイトをしていた話を私はよく覚えている。あの頃の羽振りの良さ、夜の街、酒と笑声が溢れるあの空気——あれに憧れた気持ちは本物だった。そしてあなたはその憧れを、「いつかああなりたい」で終わらせなかった。形は違えど、自分なりの豊かさを手繰り寄せようと動き続けた。四国の海沿いで音楽をかけ、年に二度は海外へ出かけ、年金と店の売り上げと運用益を重ねながら、誰に遠慮することもなく生きた。それは、あの夜の記憶が芯になっていたからだ。

妻のことも、書かなければ嘘になる。

束縛が嫌になることは、あった。何度も、あった。それは今も正直に認める。しかし40代で彼女と、彼女の連れてきた二人の子どもと、一緒に生きることを選んだあの決断は、私の人生の中でも指折りの出来事だった。血のつながりなど、関係なかった。子の一人は独立し、孫もできた。孫の顔を見るたびに、あの選択は間違っていなかったと思う。束縛されるのは面倒くさい。だが、面倒くさいことと、大切なことは、たいてい同じ場所にある。

街は変わった。

< 元コメディカル パリピのエッジ
誰に宛てるつもりだったのか、いまもわからない。

69歳の冬、600万円を叩いて新しい店を構えた。あれは覚悟の話として語ってきたが、本当のことを言う。契約書を持って帰った夜、台所で一人、ただ座っていた。手が少し震えていた。

怖かったのだ。

「荷物は早めに降ろすに限る」と言ってキッチンカーを手放したのも、言葉ほど涼しい話ではなかった。ただ、怖いという顔を誰にも見せる気になれなかっただけだ。妻にも、言わなかった。

あの夜、外では雨が降っていた。この四国の冬の、底冷えする雨だった。店の壁の色を何にするかまだ決めていなくて、どうでもいいような些細なことが急に不安になって、深夜に一人でスケッチブックに色を塗ってみた。結局その色は採用しなかった。

覚悟などという立派なものではなかった。ただ怖かった。それだけだ。

認めたところで、何も崩れやしない。
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私が住み続けたこの四国の町も、気がつけば様変わりした。商店街の一角には、今や対話型のAIが常駐する「暮らし相談所」とやらが開いていて、老人たちがそこでスクリーンに向かって話しかけている。私も一度使ってみたが、なかなか的確で少し腹が立った。人間の仕事というのは、少しずつそういうものに置き換わっていった。しかしそのぶん、人と人が顔を合わせる時間は、逆に貴重になった。店で誰かと笑った記憶は、どんな技術にも替えられない。

金融資産は今ではほとんど尽きている。年金だけが静かに入り、それで暮らしている。不思議なことに、焦りはない。資産が3000万あった頃と、ゼロになった今とで、飯の味はそう変わらない。あの頃のお金は、旅の費用になり、音楽になり、店の壁や床になり、誰かとの夜になった。消えたのではなく、全部使い切ったのだ。それは誇っていい。

68歳のあなたへ。

あなたは今、当たり前のように思っているだろうが、あなたがしていることは当たり前ではない。年金と仕事と運用益を重ね、海外へ出かけ、音楽を聴き、新しい店に賭けようとしている。妻と、継いだ家族と、四国の風の中で生きている。それをあなたは「普通にやっているだけ」と思っているかもしれないが、普通にやれることが、どれほど難しいか。

堕落しながらでいい。面倒くさがりながらでいい。束縛に舌打ちしながらでいい。それでも前に動こうとするあなたの癖は、本物だ。

資産が3000万あった頃と、ゼロになった今とで、飯の味はそう変わらない。

物申す!意見
元コメディカル パリピのエッジ

百歳になって、人に話せることがどれくらいあるかと考えると、そう多くはないな、というのが正直なところだ。

六十八のとき、娯楽や交際費を見直す機会があった。私は見直さなかった。それだけのことである。間違いだったとは思わないし、正しかったとも言わない。ただ、そうしなかった。それが私という人間の自然な形だった。

三千二百万円という数字が手元にあった頃、私は金を使うことに対して臆病でも吝嗇でもなかった。飲み食いをし、誰かと笑い、そのぶん金は出ていった。それが嫌だったかといえば、嫌ではなかった。当たり前だが。

八十四で四千百五万円になっていたのは、運用の具合が思ったより良かったからだ。私は賢かったのではなく、たまたまそういう時代に生きていた。それ以上のことは言えない。

ワールドカップで久しぶりにスペインが勝った年のことも、もう遠い記憶の中にある。あの頃はまだ外に出て騒ぐことができた。酒を飲みながら誰かの家でテレビを見た夜があったかもしれない。百歳にもなると「かもしれない」になる。記憶とはそういうものだ。

今の手元に二千四百九十四万円が残っている。これが多いのか少ないのか、私には判断する気がない。使った分は使ったし、使わなかった分は残った。それだけである。

人生について語れることが少ないのは、波乱がなかったからではなく、生きるということが元来そういうものだからだと思っている。誰の人生も、話せば三十分で終わる。残りの時間は全部、同じ日が繰り返されているだけだ。それで構わない。百年、それでやってきた。

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🗳 69歳で600万円を投じた新しい店。あの決断の向こう側に何を見たい?


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

この人生は架空のものです。ただし、資産の推移と「金融資産がゼロになる年」は、 実際の計算式で出した数字です。

あなたの数字も、同じ方法で見ることができます。

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開発の記録はこちらに書いています。 https://note.com/max7777